薬害加害者としての武田薬品

 

弁護士  宮  田    学

 
 

【スモン被害者の声】

昭和48年8月15日、静岡地裁でのSさんの陳述。
「裁判長様
私は原告のSでございます。

 裁判長様・・・
私は今年、59歳になります。
49歳の夏から、私は寝たり起きたりの、10年間を過して来ました。
病院に行く以外に表に出たのは、この10年間にたった3回・・・。 スモン提訴の日と、つい先日のスモンの会打ち合わせ会、そして今日です。
私の足は、丁度長い間正座したあとにシビレて立ち上がれないのよりひどく、電気でもかけられたような状態でシビレッ放しです。
その上に、力の強い腕でグイッと押えつけられたように、筋肉が硬直しっ放しです。
ものすごく足や腰が冷えて、足先から腰まで冷たくなり、まるで氷水にでもつかっているような感じです。
ゴムの膜が一枚張りついて、はがしたくても取れません。
この暑いさなかに、アンカで暖め、電気毛布で腰をつつみ、ビリビリジンジンにいらいらし・・・、暖めてもさすってもなかなか寝つかれない毎日です。
ねても、さめても、シビレが私を責めたてます。
朝、目が覚めて、また、腰や足や、時々は手のひらさえもジンジンビリビリすると、「あゝ、このスモンの奴が、また今日も私を責めたてるのか」と、心底腹が立ってきます。
いっそのこと、自分で自分の足や腰や手のひらを、ナタか何かで切り落してしまったら少しは楽になれるのではないかと焦立ってきます。

 裁判長様・・・
おわかり頂けるでしょうか。
私の人生の中、少なくとも最近の10年間は、シビレ、いたみシメツケ、冷えこみ・・・に追いつめられ、こづき廻わされ一時も心の休まった時がありませんでした。
今、私は立ち上ることができません。
歩くことは、おそらく一生できないかもしれません。
私だって歩いてみたい。
孫と一緒に、ついその辺を散歩してみたい。
風呂に一人でゆっくり入ってみたい。
便所くらい、人の助けを借りずにそっと座を外して用を足してみたい・・・。

 裁判長様・・・
おわかり頂けるでしょうか。
スモン患者の中、相当数は今、いい年をしておむつをして自分の尿の始末をしているということを。
いつ出てくるか、それがわからないのです。
ひょっと立ち上る。ひょっと姿勢をかえる。うっかりすると、そそうをしてしまうのです。
・・・お笑い下さい。
そして、笑われる身のつらさを、ついでに考えてみて下さい。
一体、いつになったら、この屈辱的な人生から解放されるでしょうか。
シモの世話を人にやってもらう苦痛がおわかり頂けるでしょうか。
しかも私は女です。
いっそのこと、生きていない方がいいと、何度思ったことか・・・。
どうすれば死ねるか・・
首をくくるか、
薬か、
窓からとび降りるか、
・・・でも私には思うだけで足がありません。
スモン患者があのウィルス説以後、一番思いなやんだのはどうやって死ぬか、だったと思います。
「患者の中、4割が自殺を考えた」というおそろしい結果が私共の実態調査に出ております。
私の自殺計画についてはもう思い出したくありません。
お許し下さい。

 裁判長様・・・
このおそろしい病気の原因が、実は整腸剤「キノホルム」だということをあとで知りました。
私は腸炎で入院し、手術をうけ、何も知らない中に体がシビレ、いつの間にか足腰も立たなくなり、お医者様も看護婦さんも扱いかねた患者の一人です。
病院にも治療費は随分払いました。お医者さんからもらった薬も正直にのみました。
伝染病説の頃は、箸や茶碗のあと始末にも、人様の迷惑にならないように、ひっそりと気をつかって釆ました。
そのくせ、シビレや痛みが耐えられなくなると、つい大きな声を出して、家族をどなりつけたりもしました。
病状が極端に悪くなりますと、私は今でも本気で、「殺してくれ」と、ついわめいてしまいます。その度に、嫁や孫たちがどんな思いをしているか十分わかっていながら、ついおろかしくも叫んでしまう程、スモンの自覚症状は苦しいものです。

 裁判長様・・・
どうしてこんなおそろしい薬をのまされたのでしょうか。
どうしてこんな呪わしい薬を作って売ったのでしょうか。
どうしてこんな悪い薬を国は許可したのでしょうか。
こんなおそろしいことは、是非中止させて下さい。
こんな悲惨な思いを、2度とどこの誰にもさせないで下さい。こんな薬を売りまくってもうけた会社を、厳しく罰して下さい。こんなおそろしいことを絶対に許すわけにはまいりません。
私はお金などほしくはありません。
歩けた元の体に返して下さればいいのです。
一人で風呂に入り、一人で便所に行ける、たまには孫といっしょに散歩にいける、平凡なおばあちゃんになりたい……。
そうなれるなら、こんな裁判は起こしません。」

 Sさんは、提訴以後、街頭カンパや被告会社への抗議行動に懸命に参加されていましたが、その疲労が重なって、昭和51年3月3日、急逝されています。

 

【薬害スモン事件と武田薬品】

 武田薬品の新研究所建設計画に対して、「大企業の武田薬品のやることだから間違いないはずだ」とか、「武田薬品は十分信頼できるので、心配いらない」とかいった意見が出されています。しかし、命や健康はいったん損なわれると、取り返すことはできません。
 一部の方が主張されるように、武田薬品はそれほど信頼に足りる会社でしょうか。「タケダイズム」なるスローガンを振り回しているばかりで、近隣住民の疑問には真摯に応えているとは到底言い難いのではないでしょうか。 
 そのような武田の態度を目にする時、同社がかつて加害企業として責任を追及された薬害事件においてどのような態度を取ったのかを多くの皆さんに知っておいていただくことはきわめて有益であると考え、スモン事件での武田薬品の対応をご紹介したいと思います。

 薬害スモン事件は昭和40年代に生じた大薬害事件です。被害者数は、厚生省が把握した患者だけでも約11,000人。武田薬品は、そのうちの約3分の2の被害者が服用していた整腸剤「エンテロ・ヴィオフォルム」(その大部分の製造は武田が提携していた「チバ」社による)の販売に携わっていたのです。
 スモンは、お腹をこわした人たちがそれを治すために整腸剤キノホルム剤(武田が扱っていた製品名が前掲の「エンテロ・ヴィオフォルム」)を服用したために、薬の副作用として、下半身のしびれ、歩行困難、失明等の重篤な後遺障害が生じた病気です。被害者は幼児から高齢者まで、(当時アメリカが施政権を有していた沖縄を除いて)全国で被害者が生まれました。原因が解明されない段階では「ウィルスが原因ではないか」との説が出されたこともあり、周囲にうつしたくないないなどとして、みずから命を絶った人も多いのです。そして、今なお治療薬は発見されておらず、多くの患者さんが苦しみ続けています。

 スモンの原因が整腸剤「キノホルム」であることが判明した段階で、被害者たちは救済を求めて、全国各地で武田薬品ほか2社の製薬会社と国を被告として立ち上がりました。
 そして、長いたたかいの結果、昭和54年9月15日、9つの勝訴判決と大きく広がった運動・世論の力により、「確認書」の締結を勝ち取ったのです(そして、その結果、裁判に立ち上がった人たちは、薬害防止のための諸策とともに損害賠償金を勝ち取ることができましたが、命や健康自体を取り戻せたわけではありません)。

 

【裁判所での武田薬品の主張】

 武田薬品の訴訟の責任論における最大にしてほとんど唯一の抵抗は、「武田は、チバからキノホルム剤を預かり、卸店に配給し金を集金する中間販売業者にすぎないから、原告らに対し責任を負わない」との主張でした。言葉をかえれば、後述の東京地裁判決が言っているように「武田は、街の薬局と同じで、責任はありません」というものでした。

 そして、武田は、キノホルム剤についていかなる安全確認、結果回避を行なったのかについては、何の書証も提出しなかったし、証人も喚問しなかったのです。しなかったというよりは、しえなかったのです。なぜならば、キノホルム剤について、武田は安全確認や結果回避措置を何一つとっていなかったからです。
 その主張によれば、武田は1934年にキノホルム剤の輸入を開始してのち、スモンが発生し、キノホルム剤の販売が停止されるまでの間、ただひたすらにチバ社の提供した資料を鵜呑みにしていただけであって、動物実験はおろか文献調査すら、独自に行なおうとはしなかったというものでした。

 

【昭和53年8月3日・東京地裁判決】

 スモン訴訟においては、武田ほか製薬会社の責任はすべての裁判所が認めましたが、武田薬品の責任を認めた1例として、昭和53年8月3日の東京地裁判決を紹介しましょう。

「1 チバ・武田の提携関係の要約
 以上要するに、昭和の初頭よりチバは、バーゼルの本社より原料を移入して武田商店の工場においてヴィオフォルムを製造していたが、昭和13年(1938年)ヴィオフォルム等の製造権を武田商店に移譲し、原料を含めて純国産としての右薬剤の製造が開始されるに至った。戦後昭和28年に及んで、被告武田自ら製造の許可を得て、原末をチバ(バーゼル)より輸入したうえ、エンテロ・ヴィオフォルム『チバ』を製造・販売し、昭和33年(1958年)には、チバ・武田間に前記内容の製造契約・配給契約が結ばれて、両者の提携はより一層緊密の度を加えたのである。これにより、被告武田は、昭和36年(1961年)チバの宝塚工場新設に至るまでは自社の製造にかかるキノホルム剤を、その後はチバの製造にかかるキ剤その他のチバ製品を、いずれも被告武田の国内販売網に乗せて独占的販売を行なって来たものである。

2 販売者としての被告武田の責任
 以上のとおり、被告武田はキノホルム剤についても単なる販売者に過ぎない者ではなく、自らキ剤の製造者であった時期のあることが明らかであるが、本件原告中エンテロ・ヴィオフォルム剤の投与を受けた者については、その投薬の時期からして、その殆んどすべてが被告チバにおいて製造し、被告武田の販売した同剤を服用したものと認められる。よって、本件原告らについては、被告武田の販売者としての責任が関われることとなるのであるが、前記認定に徴し、被告武田は、いわゆる街の薬局に見る如き単なる中間販売者に過ぎない者ではなく、本件キ剤の製造者たる被告チバと同様の注意義務を負い、したがってまたその義務懈怠により原告らに生じた損害の賠償の責めに任ずべきものといわなければならない。
 もっとも、本件の如く販売者につき責任の認められるべき場合においても、なお製造者の責任と販売者の責任とはとうてい同日に論じ難いものがあり、その間、責任の程度に軽重の差のあるべきことは当然であるが、この点は、いわば製造者・販売者間の内部関係の問題たるにとどまり、被害の生じた相手方(本件原告ら)との関係においては、製造者・販売者の両者連帯して、その損害を賠償すべき義務あるものといわなければならない。」

 

【昭和54年9月15日・確認書における武田の約束】

 スモン被害者たちは、長いたたかいの結果、昭和54年9月15日未明、全国各地の9つの勝訴判決と大きく広がった運動・世論の力により、国および製薬3社との間で「確認書」の締結を勝ち取りました。その際の、武田を含む被告製薬会社が責任を認めた部分を、次に紹介しましょう。

「被告製薬3社は、9つのスモン判決を厳しゅくに受けとめ、これら判決を含む右一連の経過を前提として、わが国において悲惨なスモンが多発したこと、キノホルムとスモンの因果関係、スモンについての責任を認める。
被告製薬3社は、スモンによってひきおこされ、さらに、多年にわたる争いにより本和解による解決にいたるまで継続し深刻化した筆舌につくしがたい悲惨な被害について、スモン患者とその家族に対し衷心より遺憾の意を表明するとともに深く陳謝する。
 被告製薬3社は、スモン被害者が強く訴えてきたノーモア・スモンの要求が極めて当然のものであることを理解し、これを機会に、医薬品の製造販売などに直接携わるものとして、医薬品の大量販売・大量消費の風潮が薬害発生の基盤ともなりうることを深く反省し、医薬品の有効性と安全性を確保するため、その製造販売開始時はもとより、開始後においても、副作用の発見および徹底した副作用情報の収集につとめ、それらに対する適切な評価や必要かつ充分な各種試験を実施し、さらにそれらのデータを厚生省に提出し、医師や使用者にも副作用情報を提供し、効能や用法、用量に関しては、適正な宣伝、情報活動をなすなどし、薬害を発生させないための最高最善の努力を払う決意を、スモン被害者のみならず国民全体に表明する。」

 ここで触れられているのは、当然のことながら薬害の防止にかかわることです。しかし、その精神、たとえば「情報の収集」「情報の提供」とか「薬害を発生させないための最高最善の努力を払う決意」といったような部分は、今問題となっている新研究所問題における諸々の危険の防止でも生かされるべきことではないでしょうか?

(スモン東京弁護団・常任)